読書健忘録

読書健忘録

読書健忘録2023.8:治療構造について

栗原和彦(著)「臨床家のための実践的治療構造論」遠見書房 2019年

“セラピーの中で最も重要な位置を占める共感という現象もまた心の中で”境界を越え”なければ生じてこないものである。つまり,われわれはいつも自分自身の境界を揺さぶられ,脅かされる仕事,いや自分自身も積極的に隔たりをまたぎ,境界を越えることでクライアントの抱えているものに近づこうとする仕事をしているのであり,むしろその最もリスキーな境界空間を主たる活動領域としているのである”(p.42)

治療構造はクライアントと治療者それぞれを守るために必要であるが、境界が強固でありすぎても弱すぎてもよくない。クライアントと治療者という特別な空間と時間を共有する関係を続けていくとなんというか、互いの境界に化学変化が起き柔らかくなっていく感覚がある。不思議な信頼関係というか、特別な関係が出来上がるからである。ほどよい距離感の関係、”親しき仲にこそ礼儀あり”という言葉が私にはしっくりくる。

”セラピストは羅針盤を持って二人の位置関係を見極めながら,行くべき方向や,力の入れ加減を決めていく。そうしてこそ,現実の多様性におもねったり,へつらったり,翻弄されることなく,”一本筋の通った”臨床の実践が可能になるのである”(p.45)

羅針盤という言葉がまさにぴったりだと思う。さまざまなライフイベントを互いに経験する中で、状況に応じて柔軟に方向転換するが同じ方向を目指すという意味で。

”複数の開業の先輩から,開業においてはどうしても”どちらかが死ぬまで”というような関係になるクライアントが数人はいるものだときかされたことがある。今私はこの意見に,少々アンビヴァレントである。~その人をとりまくキーパーソンも亡くなったりする中で,セラピストしか支えがいないという社会的現実が生まれることがる。長年心の中を吐露してきた人は他にいないし,セラピストは,他の誰よりも自分の人生を知っている。だからこそ,今さらそのセラピストとお別れするのは,まるで自分の身を削られるほど辛い”(p.160)

クライアントは今は支えが必要だがいずれはセラピストから卒業し、現実社会で生きていけるようにすることが我々の仕事だと思っている。神田橋先生は”どの瞬間にでも面接を終わらせることができるように心がけているべきたと述べた”というが、私にその意識が欠如していた。たしかにセラピストも生身の人間なのでいつ何があるかわからない。肝に銘じたいと思う。
長年継続しているクライアントとの別れはセラピストも同じようなさみしさを体験する。けれどそれは決して悲しい別れではなく、それぞれの階段を上っていくような感覚が近いと思う。

”クライアントが,どの程度,言葉でのコミュニケーションに信頼や価値を置いているだろうか。~多重的で相互に矛盾したコミュニケーションに晒されて育った子どもはー声が優しく諭しているのに,顔は鬼のように恐ろしい,とか,いかにもこちらことを想って言っているように言うけれども,結局「私を失望させるな」というメッセージだけが伝わってくるとかーその表向き語られているものよりも,もっと非言語的なレベルにこそコミュニケーションの真実があることを容易に学習して,コミュニケーションにおいては相手の非言語的なレベルでの態度や言い方の方を優先的に判断材料とする習慣を身に着けるだろう”(p.167)

こういった家庭環境に育ったクライアントは少なくない。学歴社会の日本において、言葉では「行きたくないなら塾に行かなくてもいい」「別に大学に進学しなくてもいい」と言う親からの無言の圧力で潰されてしまう、常に人の顔色を伺う人になってしまう。そう、非言語メッセージが重要。ついつい怠りがちになってしまうが、セラピストととして、言葉だけでなく非言語メッセージに最善の注意を払うことを忘れないようにしなければいけない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA